シルクロードへの道*09
仁川フェリーターミナルはチュソク(日本のお盆)が近いためか、たくさんの人でごった返していた。1階には行き先により窓口が別々にあったので、私が行く 丹東行きの窓口でチェックインを済ませた。そばの両替窓口にはかなりの人が受付番号札を持って、近くのベンチに座って順番待ちをしていた。既に予定乗船手 続き時刻は過ぎていたが、他の丹東行き乗客も両替の順番待ちをしているようだったので、私も札を取って待った。日本円は滅多に両替する人がいない上、記入 用紙が別だったので、他の人達より少し時間がかかってしまった。乗船口のある2階へ向かうと、ここでも人が溢れていた。ある人はゴルフパックを持ち、ある人は韓国製家電製品を持っていた。中にはMTB(マウンテ ンバイク)を抱えた人もいた。予定時刻を30分程過ぎた頃、ようやく受付が開いた。セキュリティチェック、税関を通過すると、空港のような免税店があっ た。日本のたばこも売られていたので、旦那と私用にそれぞれ購入(ちなみにここの店長らしき方は、少し日本語が話せた)。
大阪港と同様にシャトルバスで(日本の中古バス)フェリーまで向かい、乗船。中に入ると、日本語表示ばかりなのと、どこかで見覚えのある造り。私の ベッドまで行き、荷物を降ろすと、カーテンの端には「東日本フェリー」の文字が。私が小学生の頃乗った青函連絡船の中古船だった事に気が付いた。家族用大 広間に行くと、20年前家族親戚と旅行して、皆で雑魚寝しながらテレビを見ていた当時を思い出した。
予定時刻より1時間半近く過ぎ、ようやく出航。甲板に出ると、たくさんの人達が景色を楽しんでいた。私の見る限り韓国人の、それもおじさんが多かっ た。私の隣で景色を眺めていたおじさんに声をかけられ、また「イルボン(日本)」と答えると、「英語は大丈夫か?」と英語で尋ねられた。話を聞くと、数年 前まで十数年間アラスカに移住していたが韓国へ帰国し、これから丹東の親戚を訪ねるのだそう。こんな所でアラスカに住んでいた韓国人の方に会うとは思わな かった。
夕方過ぎベッドで軽食を取りながら日記を書いていたが、それも飽きたので夜の甲板に出ると、酒盛りをしているグループもいれば、MP3で音楽を聞き ながら談笑する若者グループもいた。ベンチに腰掛け、景色を見渡す。今はまだ韓国なのか、それとも北朝鮮なのか。沿岸沿いに並ぶネオンを見ながら、そんな 事を考えていると、おじさん2人がテーブルを指差し、私に話しかけて来た。きっとテーブルを使っていいか尋ねていると思い、どうぞどうぞとジェスチャーし た。よいしょと座り、私に話しかけてきたのだが、また「イルボン」と返答すると、「おぉ!そうかそうか」といった感じで、持参していたVSOPやつまみを 私にもお酒を勧めてきた。最初は断ったが、どうせ暇だったのでちょっとだけ頂いた。生まれて初めてこんな高級な酒を飲んだので、むせて笑われてしまった。
片言の英単語で日本で有名な韓国スター、家族の話、フェリーの話など話した。聞くと、このおじさん達はフェリーでたまたま知り合った同士。一人は丹 東にいる友人を訪れるのだそう。もう一人のおじさんは、チュソクで暇だからぶらっと丹東へ遊びに行くのだそう。奥さん、子供はどうしたのかと聞くと、奥さ んの実家に帰省中。おじさんの親はもう亡くなったので帰省する家がない。奥さんは旅行が嫌いで、子供はお母さんになついているから、父さんと一緒に旅行な んて行きたがらない。と言う事で、おじさんは一人で丹東旅行。他に乗船している男性の大半は、そんな寂しいおじさんばかりだそう。丹東に行ったら、サウナ 行って、カラオケ行ってのんびりしたいが、変な女に手を出さないかと心配な奥さんからさっきも電話が来て、ガミガミ注意されたらしい。韓国の奥さんは恐い けど、それに比べて日本人の奥さんは世界でナンバー1だと言われた。多分こんな状況だったら、あいにくだが日本の奥さんも同じじゃないかと私は思った。
そして、なぜか豊臣秀吉が話題に上った。彼と韓国の繋がりと言えば、朝鮮出兵で殺害した朝鮮人を見せしめとして日本へ持ち帰るのが大変だったからそ れらの耳を切り落として、塩漬けにして持ち帰ったと授業で聞いた時は衝撃的だったので歴史の成績が悪かった私でも覚えているし、韓国人に対しては恥ずべき 歴史の一つだと思った。しかし、おじさんは豊臣秀吉はチンギス・ハーンと同じ位ナンバー1だと言う。私はチンギス・ハーンは分かるが、秀吉は違うよと否定 したが、いやいやナンバー1だと譲らない。なぜ韓国人のおじさんがそう思ったのか未だに疑問に残っている。