シルクロードへの道*10
翌朝目が覚め、韓国語と中国語のアナウンスを聞きながら、身支度を始めた時、買ったばかりでお気に入りの帽子がない事に気が付いた。どうやら仁川の免税店 で置き忘れてしまったよう。少し落ち込みながら、甲板に出て朝食代わりの菓子パンとシリアル付きヨーグルトを食べた(船内では洗面所入口でお湯も提供して いるので、用意して行けばお茶やカップラーメンも食べられる)。少し曇り空でいい天気とは言いがたかったが、それでも空気は清々しかった。丹東の港が近付 くと、ひなびた小型漁船があちらこちらに見えた。
港にフェリーが到着すると、手続きのためかターミナル職員や制服を着た軍人がフェリーと事務所を行ったり来たりしていた。これで結構時間がかかり、 到着後30分以上経過後ようやくシャトルバスに乗って、ターミナルまで行くことが出来た。フェリーを出る際に頂いた申告書に記入し、長い列に並び、パス ポートと同時に提示すると、漢字で書いた名前を外国人はアルファベットで書くよう指示され、用紙に書き直し、また長い列に並び直した。外に目をやると知人 を迎えに来た人達や客待ちのタクシーがいた。ターミナル周辺は小さな商店や食堂程度しかなさそうだった。
ようやく税関を通過し、ロビーに出た。中国人の友人(仮名:お銀)から結婚するカナダ人の友人(仮名:昌泰。お銀さんと昌泰君の結婚式が丹東であ る)の友人(仮名:ジェイド)が迎えに行くと聞いていたので、辺りを見回すと、白人の若者がすぐ見つかり、ようやくご対面。ジェイドの友人の中国人の女の 子2人とタクシーで市内から迎えに来てくれていた。ジェイドは昌泰君の幼なじみで、昌泰君が丹東で英語教師をしていた際、訪れ、気に入り、現在はジェイド もここで英語教師をしている。
約40分程で丹東市内へ到着。私は3年前に訪れた事があったので、今回で2回目となる。成長が著しい中国だが、この辺境都市は以前と大して変わらな いように見えた。昔ながらの食堂もあれば、ハングル文字の看板もあちらこちらに見られる。高層ビルも西洋料理店もなかなか見つけにくい。彼のアパートに荷 物を降ろし、昼ご飯を外で食べ、シャワーを浴びさせてもらい、少しベッドで休ませてもらった。
ふと目が覚めると、もう夕方近くを回っていた。今晩は1ヶ月振りに先に新疆へ引っ越した旦那と再会出来る。友達の結婚式のため、数日間仕事で休暇を 頂いて、中国の西の外れから瀋陽へ夜に飛行機で到着後、東の外れの丹東に来る予定。丹東へのバスは夜便がないため、同乗者を探して乗り合いタクシーを利用 するしか手段がないとの事。
取り敢えず夕食を食べに4人でまた外へ出ると、友人のアメリカ人の元同僚と出会い、夕食に合流。彼は丹東で英語教師をしていたのだが、その後大連に引っ越し、その日は友達の結婚式のために丹東へ戻っていた。
式を挙げるお銀さんと昌泰君は北京から翌日到着予定だったので、丹東で旦那と連絡を取るのは、幼なじみのジェイド。食事中も携帯を逐一チェックする が、なかなか旦那から連絡が来ない。10時を回り、ようやく旦那が公衆電話から電話をかけてきたのだが、昌泰君が手配してくれたタクシー運転手が空港に現 れず。理由は消毒液のような中国の酒、白酒(バイジョウ)をがぶ飲みしている最中だったから。ジェイドに連絡が来たのは、他の運転手を交渉するため。それ から数時間後、1台のタクシーを拾い、瀋陽駅にいた3人の同乗者と共に丹東へ向かった。深い霧のために時間がかかり、ようやく丹東に到着したのが、深夜3 時過ぎ。再会を喜ぶ前に、旦那の苦労を労った。その後、ジェイドがこれから引っ越す予定の別のアパートに向かい、丹東に滞在中はここを拠点に私達は動い た。